理想の女性に変身する妄想をオカズに毎日励む親父2

最新分析によるとAG(オートガイネフィリア)です PC版背景パンスト脚は自撮りですーwww #女装

乳首刺激妄想 ~プロローグ~

もはや還暦も超え「むさ苦しいオヤジ度」にますます拍車がかかってきた私。


しかし心の中には猛々しい男の精と、女性美への同化願望という真逆な欲望を宿し、倒錯したエネルギーはますます強くなるようで今も多いときは日に3~4回もオナニーに耽るありさま。ヘビーな依存症なのですが別段疲れるわけでもなくそのつどしっかり射精。
(はて? 自分に精力の衰える日は来るのかしらん?)と自問する日々であります。


そんな変態絶倫オヤジの悪癖のひとつが今回ご紹介する「乳首刺激」。
それも自室などの閉鎖空間ではなく、繁華街、公共交通機関、ショッピングセンターといった白昼の人混みでこれはというターゲットを見つけては妄想をふくらませ乳首を刺激、男根をしゃくらせて愛液を垂らすのが大好きというのですからほんとうに困ったオヤジです(笑)。


さて、自愛の方法ですが、私は外出するときいつもリュックを背負っています。肩紐を胸のあたりで握っていると、はた目からは重い荷物を背負ったおじさん、としか映りません。
こうして他人からは死角になった胸元辺りで、私はだれにも気づかれぬよう衣服ごしに乳首をこりこりと刺激し、湧き上がる奇想天外な妄想に耽るのです。


欲情の対象は広くJSから熟女まで。その他、女性が身につける衣服、下着、靴といった小物にも反応します。


女らしい曲線に彩られ、丸みに満ちた若く張りのある、柔らかなつるつるした愛らしい●●を自身の体に移しかえたい、あるいは身につけたい、、、
分析してもらうと「ナルシス型変身願望」だそうです。


たとえば街で美脚のJKを目撃するとき、私は(触れたい)欲望より、おなじ美脚を得た自分を想像して欲情してしまいます。


はじめに私はオトコ目線で美しい脚を舐めまわします。
(チクショー、きれいな脚しやがって、、、)


そして次には中性化した自分、すなわち股間にグロテスクな男性器を残したままそれ以外は女性化した肉体をもつ自分が、
(あぁ、私もあんなきれいな脚になって、太ももをむき出して街を歩いてみたいっ!)と胸を焦がすのです。


羨望と嫉妬、叶わぬ夢への失望と諦念の思いがないまぜになって満ち、身悶えするようなもどかしさに包まれますが、私はそんな思いをさらに増幅させて自らをおとしめようと乳首を愛撫し、勃起した男根をしゃくって愛液をしたたらせるのです。


ときには自分の性癖を知り尽くした美しい女性パートナーが背後から自分の両乳首を愛撫してくれる妄想にとらわれます。
「あの子、きれいな脚してるわね。・・でもあなたの方がもっと美脚よ。おちんちんがついてて、現役のJKよりきれいな脚だなんてすごいわ。あなた本物のJKに勝ったのよ。うれしい?」


そんな言葉を耳元で囁かれながら両乳首を愛撫され、私はせつない疼きに身をよじらせ、恥ずかしげに小さくうなずいてみせるのです・・



私の悪癖はとどまるところを知らず、都会の繁華街や人ごみは自分にとって「妄想天国」。
マニアックな世界観で甚だ恐縮ですが今後、拙ブログでは「乳首刺激妄想」と銘うち、不定期シリーズでわが脳内の「フェチ曼荼羅」をご披露します。嗜好の合う方はどうぞお楽しみください。


'70アイドルのロングヘアに魅せられた私

「女なるもの」の象徴であるロングヘアは、私にとっては思春期からの憧れ。
今でこそ多様性が受け入れられ、外見には寛容な世の中になりましたが、昭和の時代はアーティストでないかぎり男子の長髪は無理で、サーファーなどのヘアファッションも無くはなかったですが、私が憧れたのはいわゆるワンレン。とくに長い髪をアップにひきつめ、うなじや丸いおでこをむき出しにするヘアスタイルは女性美の典型であり、できることなら自分も背中まで髪をのばし、美容院でアップに結い上げたいと切望したものでしたが、そんな夢は叶うべくもなかったのです。


男と生まれ、自由に髪を伸ばせない鬱積した思いを少しでも慰めてくれるもの、それは同世代のアイドルたちが成長とともに髪をのばし、少女から乙女に変貌していく姿を追いかけることでした。いま思えば自身の不満を彼女たちに投影して心を慰めていたのだと思います。


私が今も慕うのはなんと「森M子」。 「せんせい」でデビューしたときはいがぐり頭の少女でしたが、年頃に成長するにつれ髪をすこしずつ伸ばしはじめました。しかし、高齢者ファンのイメージを壊さないよう、20歳を過ぎてもおかっぱのこけし頭を強いられる不憫な時代がつづきました。


やがて、後ろ髪をだんだん伸ばし、前髪をカールさせ、徐々にイメチェンしていきました。
私はそれまで彼女に対してさほどの興味はありませんでしたが、しだいに(自分の代りに髪を伸ばしてくれている)ような感情移入をはじめるようになり、彼女の出演番組は欠かさず見るようになりました。


22歳を迎えると会社の戦略もあってか、曲調も成長した女の世界観となり、それにともなって髪も肩まで伸びました。彼女の、豊かな髪質とボリュームたっぷりの長い髪に私の目は釘付けになり、ついに着物姿&アップに結い上げた髪で登場したときには羨望と嫉妬でうちのめされ、以後、彼女を自慰行為の対象としてとらえるようになりました。


最も長く髪が伸びたころ、彼女は豊かな髪をカールし、大きなウエーブをつけて登場しました。小首をかしげるとカールが小さく揺れて、、(・・あぁ羨ましい! 自分も森M子と同じ長さまで髪を伸ばしてカーラーを巻き、艶やかなウエーブを肩先で揺らせてみたい!)と胸を焦がしたものでした。


・・・彼女もいまでは高齢化し、髪も細く痩せてコシもなくなり見る影も、、ですが、私の喜びはネット上で若い頃の未見の動画がアップされるのを待つことです。私の心を慰めてくれる若き日の彼女はいまもPC画面の中では女神として輝いています。





昭和美形NH「リラ」さんを慕い続ける私



おぞましい男の精を身体にのこしたまま、それ以外は美しい「女」になりたいと思春期のころから願い続けてきた私。


今でこそ「ニューハーフ」「シーメール」「レディボーイ」などという名はメジャーになりましたが、青春期を過ごした昭和50代にはまだマイナーで、今のような市民権は認められない彼女たちは日陰の存在でした。
それでもテレビの風俗番組などで売れっ子たちがだんだん取り上げられるようになると、私は自分と同年代の「同志」が夢を叶えていることに大きな衝撃を受けひたすら憧れ、羨み、口惜しさと嫉妬がないまぜになったような不満に悶々とした日々を送っていました。


家庭用ビデオデッキがまだ珍しかった時代、私はいち早くそれを手に入れアングラビデオを収集していました。ただ当時はビデオ作品が一本15,000円~20,000円もしたのでそう簡単に購入することはできません。
それが今回ご紹介するビデオタイトルは何の躊躇もなく、よろこびに震えながら衝動買いした記憶が今も鮮明です。


「華麗なるゲイの世界を彩るドラマ リラ」


ネット情報によると発売は1983年(S58)ごろ。
おそらくニューハーフものの日本第一号だそうです。


主演の「リラさん」は、京都の一流ゲイバーの美形ゲイとしてマスコミにも取り上げられていた売れっ子。私が彼女の存在をはじめて知ったのは日テレ系「11PM」で、特集でスタジオにも呼ばれてインタビューを受けていました。


私は新聞のテレビ欄で放送内容を知り(その頃はまだ「ニューハーフ」という言葉が生まれておらず、おそらく「華麗なるゲイボーイの・・」みたいなタイトルだったか)、夜になるのも待ち遠しく、録画予約を何度も確認したものでした。
そして生放送を見て心から感動しました。


「この女性、名前はリラさん・・」で始まった特集コーナーを、私はもう何度再生して見たことでしょう。残念ながらテープは擦り切れてしまいもう残ってはいませんが、内容はよく覚えています。


リラさんともうひとりの仕事仲間が出勤途上、鴨川の河原を歩いているという(たぶん演出)設定です。


京都四条の高級ゲイバーはそれまでテレビで何度か紹介されていましたので、いちど行ってみたいなぁと思っていました。そこへ行けばリラさんに会えるのかと思うと胸が焦がれましたが、それは叶わぬ夢でした。


出勤してドレスに着替えホールで接客、ショータイムには美しい衣装に着替えてステージで踊っていたリラさんの美しさは今も眼に焼き付いています。


さらに出勤前に自宅で自炊し、食事するプライベートな表情も。


そしてスタジオに招かれ、司会の藤本義一氏から質問を受けるリラさん。


幼いころから恋愛対象は男性で、藤本氏から「女性への興味はないの?」と聞かれ「女性に対しては、、ある種母親的なものしか感じられない」と答え、藤本氏が総括します。
「・・体は男でありながら男性を愛して、女性には母親的なものしか感じない。大変だな、こりゃ」と苦笑されて出演場面は終わります。


今の時代は理解・認識もすすみましたが、当時はマスコミの先端人をもってしてもマイノリティのとらえ方には苦慮していたのでしょう。


・・ビデオ作品に方向をもどすと冒頭、クラブで撮影されたと思われるショータイムから場面ははじまります。


設定は、京都へ新婚旅行に来たカップルが夜の街を散策、リラさんの働くバーへ遊びにきて接待を受けます。
途中でリラさんはショータイムのため中座、やがてショーがはじまり新婚さんは楽しげに過ごしていますが、新妻が飲み過ぎたのか気分が悪くなったというので男性は妻をホテルに送りとどけ、もういちど店に帰ってきます。飲み直すうち男性とリラさんが意気投合、そのままホテルへ。
ここから待望のカラミがあって、男性の心はすっかりリラさんに傾き、あくる日、公衆電話からホテルにいる妻を呼び出し、ひとりで帰らせるといういかにも昭和なるシナリオ。
重いスーツケースを引きずりながら肩を落として新妻が駅へむかうシーンは京都駅前でロケされています。
妻から旦那を寝取ったリラさんはもういちどホテルで彼とからむ、ソフトフォーカスのかかったシーン。リラさんの美しい裸身に似つかわしくないパンティ越しのもっこり股間は、ハンカチを詰めて強調したのだとか。


・・ビデオはその後、DVDにダビングしたのですがそれも劣化してしまい、いま手元にはカラミのシーンしか残されていません。
リラさんが絶頂を迎える、という演出でカメラが唐突に顔のアップをとらえます。
撮影は午後からだったためか、リラさんのアゴには伸びてきたらしいごま塩のようなおヒゲがぷつぷつと。


私は、今もそうなのですがニューハーフさんに対して独自の美学をもっており、「限りなく完璧な美形より、どこかに男性の名残をとどめた美形」に心奪われるのです。そのあたりにリアルな親近感を感じるからかもしれません。


その点、リラさんの「ぶつぶつおヒゲ」は決して欠点ではなく、私にとって彼女の美しさを倍増させる重要なキーなのです。「努力して美を保っている」という健気さに心揺さぶられるのです。


それともうひとつ大切なツボは「小さな乳首」。こちらも男性の名残をとどめる、という私の審美眼。その点においてもリラさんは理想的でした。


・・私はリラさんのビデオを見ながら(あぁ、自分もこんなふうに美しいゲイボーイに変身してみたいッ!)と憧れ、その思いは今も変わりません。
しかし、時の流れは非情で、私の容姿は徐々に理想から遠のき、今はふつうの定年オヤジになってしまいました。
こんなことは想像したくありませんが、リラさんとて私と同い年ですからその容姿の変化もご本人にとっては受け入れがたい面があるかもしれません。


しかし私はちっともへこたれません。リラさんがもっとも輝いていたころの様子は私の胸にいつまでも色褪せず焼き付けられていますし、また彼女を慕う熱いハートは今もその熱を保ちつづけています。


人は肉体の衰えに抗じることはできませんが、魂は変わらぬ若さを保てます。
私の魂は今も全盛期のリラさんとデートして鴨川のほとりを歩き、彼女のショータイムをソファから鑑賞し、そして彼女に劣らぬ美形女子となった自分が彼女の裸身を優しくだきしめる、といった世界に心遊ばせては令和の荒波に耐え生き続けているのです・・(おわり)



後年、TVに再登場したときのリラさん。クリニックで女性ホルモン投与中